【発売情報】
本日、モーストリー・クラシック2019年3月号が発売になりました
同時に、Webサイト http://mostly.jp/ も更新。目次、おすすめアーティストなどチラ読みができるほか、バックナンバーのページでは、デジタル書籍も購入できます。ぜひ、サイトにお立ち寄りください


【モーストリー・クラシック3月号の主な内容】

表紙 ベーム、セル、チェリビダッケ、カルロス・クライバー

特集 20世紀後半に伝説を残した指揮者たち
 20世紀後半はベーム、セル、ムラヴィンスキー、チェリビダッケ、ショルティら巨匠指揮者がきら星のごとく存在した。来日公演も多くなり、録音環境の発展によるレコード会社の戦略もあいまって、日本の聴衆はさまざまな個性的な指揮者の音楽を楽しんだ。
 カール・ベーム(1894~1981)は晩年、日本で絶大な人気を誇っていた。43年と54年の2回、第2次世界大戦中と戦後にウィーン国立歌劇場の音楽総監督を務め、ウィーン・フィルの名誉指揮者で、オーストリア・ドイツ音楽の伝統を今に伝える指揮者とみなされた。70年代にウィーン・フィルと来日して人気に火が付いた。ウィーンでベームの演奏を聴いている音楽評論家、堀内修氏によると、ウィーンで指揮するオペラやコンサートはいつも満員だったという。「1970年代のザルツブルク音楽祭は、カラヤンとベーム、2人の巨匠がオペラを指揮する特別な音楽祭だった」と堀内氏。
 ベームの次の世代で、世界的な人気があったのはカルロス・クラシバー(1930~2004)。父は名指揮者エーリッヒ・クライバーで、ナチス・ドイツから逃れ、アルゼンチンに亡命。カルロスはブエノスアイレスで音楽を学びはじめ、父の反対を押し切って指揮者の道を進んだ。バイエルン州立歌劇場の公演などでたびたび来日したおり、日本でも大人気だった。カルロスはキャンセル魔だったが、日本では必ず指揮をした。音楽評論家の許光俊氏は、「クライバーは、ずっと父親に対してコンプレックスや敵意を抱いていた。それが刺激される可能性が日本ではほとんどなかった」という。エーリッヒは1956年に亡くなっており、来日もしていないから日本にエーリッヒの演奏を聴いたことのある聴衆はおらず、比較されないからだ。
 「帝王」と呼ばれたカラヤンほど、クラシック・ファンでない一般に名前を知られた指揮者はいなかった。超人気指揮者ゆえにアンチ・カラヤン派が生まれた。カラヤンの対抗馬にあげられたのがフルトヴェングラーとチェリビダッケ(1912~96)。第2次世界大戦が終わり、フルトヴェングラーらがナチスとの関係を問われて謹慎させられる。指揮経験がほとんどないチェリビダッケはその間、暫定的な首席指揮者に就任したが、フルトヴェングラーが復帰し、楽員に嫌われたことなどからベルリン・フィルとの関係を絶ってしまった。そして55年、フルトヴェングラーの死去によってカラヤンはベルリン・フィルの首席指揮者についた。アンチ・カラヤン派の背景にはこうした3者の関係がある。チェリビダッケは生前、LPやCDなど録音をほとんどリリースしなかった。それゆえ「今でも『幻の指揮者』のままである」と音楽評論家の佐伯茂樹氏。
 他に、◎シノーポリ、クレンペラー、ミュンシュ、オーマンディ、クーベリック、ジュリーニ◎ドイツ・オーストリア系の指揮者たち◎今期のベルリン・フィル、ウィーン・フィル定期演奏会の指揮者◎欧米の巨匠指揮者を日本のファンに知らしめた音楽評論家◎巨匠を生んだ名プロデューサーたち、などです。

特集で紹介したDVD、CDのプレゼントもあります


BIGが語る セバスティアン・ヴァイグレ 指揮
 読売日本交響楽団の2019/20年シーズンから常任指揮者に就任する。ヴァイグレは1961年、旧東ドイツのベルリン生まれ。ベルリン州立歌劇場のホルン奏者からキャリアがスタートした。当時の音楽総監督はスウィトナー。その後の音楽総監督、バレンボイムの勧めで指揮活動を始めた。「(バレンボイムは)アシスタントには、彼の言うことをすべて踏襲しろとは言わず、自分が素晴らしいと思ったことを引き継げばいい、自分の模倣になってはいけないと常にいっています」と話した。

宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 望月哲也 テノール
 シューベルトの3大歌曲シリーズのリサイタルを続けている望月哲也。最終回となる「白鳥の歌」が4月6日、Hakuju Hallで公演される。ピアノ伴奏ではなく、ギターで歌うというのが特色。「『白鳥の歌』の後半、ハイネのテキストによる曲はドラマティックなので歌も大変ですが、音域も広くギターでは無理かな、と思っていたのですが、今回共演する松尾俊介さんがいろいろなアイデアを出してくれました」と話した。 

このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


次号予告
2019年2月20日(水)発売の2019年4月号は「ウィーン・フィルとベルリン・フィルオーケストラの魅力と個性」を特集します

お楽しみに~

【発売情報】
本日、モーストリー・クラシック2019年2月号が発売になりました
同時に、Webサイト http://mostly.jp/ も更新。目次、おすすめアーティストなどチラ読みができるほか、バックナンバーのページでは、デジタル書籍も購入できます。ぜひ、サイトにお立ち寄りください


【モーストリー・クラシック2月号の主な内容】

表紙 ワーグナー、バイロイト祝祭劇場、バイエルン州立歌劇場

特集 ワーグナーの真髄
 ヨハン・セバスチャン・バッハがヴァイマル、ケーテン、ライプチヒとドイツ各地を移りながら作品を生み出したように、リヒャルト・ワーグナーもヨーロッパ各地を転々とした。しかし、ワーグナーは新たな仕事を求め、移動しただけでない。借金を作り、革命に参加し、お尋ね者になり、否応なく転居せざるを得なかった土地もある。特集ではワーグナーの生涯を都市で巡っている。
 ワーグナーは1813年、ライプチヒで生まれた。俳優の父、母に連れられ各地を転々とする少年時代を過ごした。ライプチヒ大学を中退し、音楽の道へ進み、1837年、当時はロシアの支配下にあったラトヴィアの首都リガの劇場の指揮者になる。これは一方で、借金取りから逃げるためだったという。リガからパリ、そしてドレスデンに移住し、宮廷楽長となる。ドレスデンでは「さまよえるオランダ人」を初演し、「ローエングリン」が完成した。しかし、1849年、ドレスデン市民蜂起に参加。お尋ね者になり、スイス・チューリヒに亡命する。
 チューリヒでは豪商オットー・ヴェーゼンドンクがパトロンになったにもかかわらず、その妻マティルデと不倫。マティルデの詩に曲をつけた「ヴェーゼンドンク歌曲集」を生み出した。この禁断の愛は「トリスタンとイゾルデ」に影響している。チューリヒを離れざるを得なくなり、ウィーンで「トリスタンとイゾルデ」を初演するも失敗した。
 その後、当時のバイエルン王国の首都ミュンヘンがワーグナーの安住の地となった。というのも国王、ルートヴィヒ2世がワーグナーの熱烈な崇拝者で大パトロンとなったからだ。バイロイト音楽祭が行われるバイロイト祝祭劇場も、バイロイトの住まい、ヴァーンフリート館もルートヴィヒ2世の援助があってこそ建てられた。1882年に最後の楽劇「パルジファル」を初演し、83年、保養していたイタリア・ヴェネツィアで心臓発作のため亡くなった。
 生まれたライプチヒはプロテスタントの町、亡くなったヴェネツィアはカトリックの都市。ヨーロッパ文化史研究の小宮正安氏は「オペラという金のかかる芸術に情熱を燃やし、借金をも辞さない豪しゃな生活を送ることをより所としたワーグナーにとって、カトリック文化の都市は、何者にも代え難い魅力をはらんでいたのではないか」と記している。
 他に、◎ワーグナーのオペラ、タイプ別解説◎ワーグナーの登場人物◎ワーグナー指揮者とは◎ワーグナーが求めたヘルデンテノール◎キーワードで知るワーグナー、「楽劇」「ユダヤ人」「ライトモチーフ」、などです。

特集で紹介したDVD、CDのプレゼントもあります


2018年回顧ベスト・コンサート、ベストCD&DVD
 2018年のコンサートとCD&DVDについて、音楽評論家、ジャーナリストら10人にそれぞれベスト・コンサート、ベストCD&DVDを5件ずつあげてもらった。コンサートに関しては、10人があげた50本のコンサートは、ほとんどがかぶっていない。日本で行われるコンサートの多様さを表しているようだ。CD&DVDは、パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管による「シベリウス全集」、テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナのマーラー「交響曲第6番」、庄司紗矢香によるベートーヴェンとシベリウスのヴァイオリン協奏曲の3点を2人があげている。編集部員の回顧も掲載している。 

宮本文昭の気軽に話そう  ゲスト 小林沙羅 ソプラノ
 1月から2月にかけて全国共同制作プロジェクトによるオペラ「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナ役で出演する小林沙羅。演出がダンサー・振付家の森山開次というのも話題になっている。「舞台にもダンサーがたくさん登場するようですが、歌い手も普段にはない動きを要求される可性はあります。私は子供のころからクラシック・バレエを習っていたので、今でも歌うことと同じくらい踊ることが好きですから、今回の舞台に出演できることは幸せです」と話す。


このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


次号予告
2019年1月19日(土)発売の2019年3月号は「20世紀後半の伝説を作った指揮者たち ベーム、セル、シノーポリ、チェリビダッケ、クライバー」を特集します

お楽しみに~

【発売情報】
本日、モーストリー・クラシック2019年1月号が発売になりました
同時に、Webサイト http://mostly.jp/ も更新。目次、おすすめアーティストなどチラ読みができるほか、バックナンバーのページでは、デジタル書籍も購入できます。ぜひ、サイトにお立ち寄りください


【モーストリー・クラシック1月号の主な内容】

表紙 ベートーヴェンの肖像を1783年、1801年、1804~5年、1815年、1820年、1823年と年代順に並べた

特集 まだまだ知らないベートーヴェン

 ベートーヴェンの人生はさまざまなエピソードや伝説に彩られている。たとえば、自分の生年を誤認していたわけは?ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのヴァンは貴族の称号の意味?女性にもてなかったといわれるけど本当?「不滅の恋人への手紙」は誰に宛てて書かれたもの?臨終近く、「喝采せよ、コメディーは終わった」と話したというのは本当?こうした疑問について音楽評論家の萩谷由喜子氏がくわしく解答している。
 名前のヴァン、vanはオランダ語由来で、身分を表すものではない。しかし、ドイツ語の貴族を表すvonと似ているため、ウィーンの人たちはベートーヴェンを貴族と思い込んでいた。彼自身世間から貴族と見られたがっていたのだ。ベートーヴェンに関する誤解の多くは、秘書のアントン・シンドラーが書いた伝記によっている。シンドラーは、ベートーヴェンの会話帳を破毀し、事実を歪曲し、自己宣伝のために利用しており、今では彼の自伝の信頼性は失われている。しかし、ベートーヴェン像は現在まで変化しながらさまざまな影響を及ぼしてきた。日本では「不屈の英雄」という人間像が、西洋化、近代化を進める時代にぴったりあい、大正、昭和初期の教養主義の時代に取り入れられた。
 ところで、師走になると全国各地で「歓喜の歌」が鳴り響く。日本人の第九好きはいつから始まったのだろう。日本で第九が初演されたのは今からちょうど100年前、ドイツ人俘虜(捕虜)によってであった。第一次世界大戦で日本は連合軍としてドイツの拠点だった中国・青島に出兵。敗れたドイツ兵約1000人が日本の収容所に送られた。
 彼らが収容されたのは徳島県板東郡板東町(現鳴門市)にあった板東俘虜収容所。所長の松江豊寿中佐は「彼らは犯罪者ではない。国のために戦った人なのだ」と俘虜の処遇に気を使った。スポーツ、音楽など文化活動が盛んに行われ、オーケストラは2つ、吹奏楽団が1つあった。1918(大正7)年6月1日、ヘルマン・ハンゼン上等音楽兵曹が指揮する徳島オーケストラが第九を全曲演奏した。ファゴットはオルガンで代用され、ソプラノとアルトのパートは男声用に書き直された。今日の第九ブームの源流は鳴門のドイツ人俘虜にあった。
 他に、◎ベートーヴェンの交響曲と名盤◎ベートーヴェンの緩徐楽章の魅力◎ベートーヴェンと標語◎師ハイドン、モーツァルトとベートーヴェン◎ピアニストとしてのベートーヴェン、などです。

特集で紹介したDVD、CDのプレゼントもあります


BIGが語る リッカルド・ムーティ 指揮
 第30回高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門を受賞したリッカルド・ムーティが10月23日の授賞式のために来日した。ムーティの記者懇談会が行われ、機嫌良く1時間以上語った内容をまとめている。音楽の役割について「私たち人間と人間の対話がどれだけ大事なのか、ということをもう一度見直さなければいけません。自分の感情を表現できるのが人間です。芸術の中でも音楽は、感情を伝えるのに非常に役に立つ芸術だと思います」などと話した。

宮本文昭の気軽に話そう  ゲスト 竹澤恭子 ヴァイオリン
 パリ在住のヴァイオリニスト、竹澤恭子。デビュー30周年の記念リサイタルではベートーヴェンのソナタを2曲演奏した。「10年ほど前に、ソナタ全曲を集中して弾いたことがあり、ようやく自分の中に、今だったらこう弾いてみたい、というアイデアが出てきましたので、もう一度取り組みました。ベートーヴェンのソナタ全曲をあらためて取り組みたくなりました」と話す。

このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


次号予告
2018年12月20日(木)発売の2019年2月号は「ワーグナーの真髄と魅力」を特集します

お楽しみに~

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