【発売情報】
本日、モーストリー・クラシック2018年8月号が発売になりました
同時に、Webサイト http://mostly.jp/ も更新。目次、おすすめアーティストなどチラ読みができるほか、バックナンバーのページでは、デジタル書籍も購入できます。ぜひ、サイトにお立ち寄りください


【モーストリー・クラシック8月号の主な内容】

表紙 モーツァルト一家 左から父レオポルト、ヴォルフガング、姉ナンネル
ルイ・カロジス・カルモンテル画、コンデ美術館蔵

特集 旅するモーツァルト!

 モーツァルトは35年の短い人生の中で、3720日、10年以上を旅の空で過ごした。1756年にザルツブルクで生まれたモーツァルトは、人生も音楽も旅から学んだと言えるだろう。6歳にしてウィーンに赴き、マリア・テレジア女帝に謁見し演奏を披露する。翌年から、3年半にも及ぶ期間、ヨーロッパ中を旅して歩く。ドイツ各地はもちろん、ベルギー、オランダ、スイスなどと歩き、フランスでは国王ルイ15世と王妃の御前で、ロンドンでも国王ジョージ3世と王妃の御前で演奏した。
 1769年、父レオポルトと一緒にイタリア各地を旅した。ヴェローナ、ミラノ。ボローニャ、フィレンツェ、ナポリなど、旅程は1年3カ月以上にわたった。このときに残されたのが「ミゼレーレ伝説」。ローマのシスティーナ礼拝堂でアレグリ作曲の合唱曲「ミゼレーレ」を聴いた。4声の合唱と5声の合唱が歌い交わすこの曲は、1年に3日しか聴けない秘曲。14歳のモーツァルトは、一度耳にしただけで、宿で楽譜に書き起こした。後日、もう一度聴き、楽譜の誤りを正した。一音一音聴き取って書いたのではなく、アレグリが作曲したルネサンスのスタイルを推測して聴き取った。「克明に聴くのではなく、推し量りつつ聴く、その推量がかぎりなく実態に近い。これがこのエピソードにみる、モーツァルトの天才性の芯だ」と音楽評論家の澤谷夏樹氏。
 ウィーンに定住したモーツァルトの人生最後の旅はプラハ。オペラ・ブッファ「フィガロの結婚」がプラハで大成功を収め、次作の依頼を受ける。それが「コジ・ファン・トゥッテ」。亡くなる3カ月前、1791年8月から9月にかけて3度目のプラハ訪問、「皇帝ティートの慈悲」を初演している。
 「モーツァルトは諸都市をめぐる旅馬車の中で、世に満ちる音楽を受容しつつ、それらの作品とはまったく異なる彼ならではの独自性を追求していたのである」と西原稔・桐朋学園大学教授はいう。 
 他に、◎モーツァルトにとって「旅」とは何だったのか◎モーツァルトが生まれたザルツブルク、定住したウィーン◎サリエリの生涯とモーツァルト◎妻コンスタンツェ◎名曲名盤◎現代のモーツァルト演奏家、などです。


特集で紹介したDVD、CDのプレゼントもあります

BIGが語る ウェルナー・ヒンク ヴァイオリン
 ウィーン・フィルの元コンサートマスターで、ウィーン弦楽四重奏団のリーダーなどを務める。ウィーンの音楽一家に生まれ、まさにウィーンの音楽伝統を体現する存在。ウィーンの伝統として「踊るための音楽」と「緩さ」をあげる。ワルツで2拍目が遅れる理由を、「みんなで踊る夕べが盛り上がって長く続いて、ずっと演奏している第2ヴァイオリンやヴィオラが、弓を動かすのに疲れてしまって、2拍子目がずり下がって演奏するようになったのではないでしょうか。それがウィーンらしさになっています」と話す。

宮本文昭の気軽に話そう ゲスト ジャー・パンファン 二胡
 中国出身の二胡奏者。1988年に来日して世界的に活躍している。二胡との出合いはラジオだったと振り返る。「小学2年生の頃からは中国が文化大革命の時代に入り、国外の音楽や文化は入ってこなくなったのです。一方で二胡や箏、琵琶、笛といった楽器は奨励されました。街の楽器屋さんでも手軽に買えましたから、演奏する人が格段に増えました。今でも大都市には必ず伝統的な民族楽器だけのオーケストラが活動しています」と中国の状況を話した。


このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

次号予告
2018年7月20日(金)発売の2018年9月号は「マエストロの肖像 現代の巨匠指揮者」を特集します

お楽しみに~

【発売情報】
本日、モーストリー・クラシック2018年7月号が発売になりました
同時に、Webサイト http://mostly.jp/ も更新。目次、おすすめアーティストなどチラ読みができるほか、バックナンバーのページでは、デジタル書籍も購入できます。ぜひ、サイトにお立ち寄りください


【モーストリー・クラシック7月号の主な内容】

表紙 ドビュッシーとパリの街並

特集 ドビュッシー没後100年 芸術の都パリ

 ドビュッシーは1862年6月22日、パリ北西約15キロのサン・ジェルマン・アン・レに生まれた。決して裕福な暮らしではなく、子供時代の思い出を話すことはほとんどなかったという。ピアノを習ってわずか1年で、パリ国立高等音楽院に合格する。食べるためにいろいろなアルバイトをしたが、中でも18歳のとき、ロシアの大富豪フォン・メック夫人のピアニストとして雇われた。メック夫人はチャイコフスキーの大パトロンでもあった。この年は、夫人のヴァカンス旅行に帯同。チャイコフスキーの「白鳥の湖」を2台ピアノ用に編曲している。
 1898年、マヌカンとして働くロザリー・テクシエと同棲し、翌年結婚。しかし、1904年、裕福な銀行家の妻エンマ・バルダックと駆け落ちする。エンマとの間に生まれた子供がシュウシュウ。ドビュッシーはとてもかわいがり、「子供の領分」が捧げられている。亡くなったのは1918年3月25日。娘も翌年に13歳で亡くなっている。特集ではドビュッシーが残した管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」、「海」、オペラ「ペレアスとメリザンド」、ピアノ曲「前奏曲集」、「映像」などについて名盤とともに解説している。
 ドビュッシーが生きた時代、19世紀から20世紀にかけてのパリは、近代化の槌音が響き、急速に発展していった。パリの人口は19世紀初めには55万人ほどだったが、19世紀半ばには110万人になっている。そして音楽だけでなく、ピカソら世界の芸術家を引き寄せ芸術の都となった。
 パリの発展の証が1865年を皮切りに、67年、78年、89年、1900年と開催されたパリ万博。78年の万博ではトロカデロ宮が、エッフェル塔は89年の万博を契機に建てられた。ドビュッシーに大きな影響を与えたのは89年の万博。各国の展示を見た人々は異国のエキゾチシズムに魅了された。ドビュッシーもジャワのガムラン音楽を聴き、影響を受けた。ジャポニズムにも関心を抱き、「海」の楽譜には北斎の「神奈川沖浪裏」が使われている。
 他に、◎19世紀フランス歌曲の魅力◎パリ・オペラ座の栄光の歴史◎オペラ座に憧れた外国人作曲家◎ラヴェルの生涯と作品◎パリのサロン文化◎パリで活躍した指揮者◎フランスとロシア、などです。

特集で紹介したDVD、CDのプレゼントもあります

マンスリー・ベルリン・フィル
 昨秋、来日公演を行ったベルリン・フィルのライブを収録した「アジア・ツアー2017~ライブ・フロム・サントリーホール」が発売された。ラトルの首席指揮者としては最後の来日となり、ベルリン・フィルはアジア・ツアーとして東京以外、香港、武漢、ソウルで公演した。このCDセットは5枚のSACDハイブリッドと1枚のブルーレイからなり、CDには東京公演のライブ、ブルーレイはその他3都市の映像が収められている。曲はR.シュトラウス「ドン・ファン」、バルトーク「ピアノ協奏曲第2番」、ブラームス「交響曲第4番」など。ベルリンからスタッフが来日して録音しており、「サントリーホールでの公演であれば、これまでの経験から、ツアー中のベストとなる目算があった」とベルリン・フィル・レコーディングスのローベルト・ツィンマーマン氏は話した。


宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 道口瑞之 劇団四季
 劇団四季には、母音法、呼吸法、折れ法という独自のメソッドがある。「折れ法」は心の変化を「折れる」という言葉で表現する。「台詞とは別に、たとえば『強い光が差し込んでくる』といったようなできるだけ具体的な言葉によるヒントですね。演じているときには、感情や意識が変化するポイントがあるはずです。そこが『折れ』になります」と説明する。


このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

次号予告
2018年6月20日(水)発売の2018年8月号は「モーツァルトを旅する」を特集します

お楽しみに~

【発売情報】
本日、モーストリー・クラシック2018年6月号が発売になりました
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【モーストリー・クラシック6月号の主な内容】

表紙 ブルックナーとマーラー

特集 交響曲作曲家の系譜 ブルックナー&マーラー
 現在、オーケストラの主要なレパートリーであるブルックナーとマーラーの交響曲。後期ロマン派を代表する2人で、ブルックナーは1824年にリンツ郊外で生まれ、96年に亡くなった。マーラーはボヘミア・カリシュトで1860年に生まれ、1911年に亡くなっており、2人の活動の時期は重なる。
 ブルックナーは交響曲第9番の4楽章を亡くなる当日まで作曲していた。書いた交響曲は1番から9番までかというとそうではない。交響曲00番と0番がある。00番は1863年に完成したブルックナー最初の交響曲。しかし、本人が「習作」と書き入れたため00番となった。0番はその次の交響曲ではなく、第1番の後、69年に作曲されている。かつては0番を第2番と称していたが、自筆譜に「無効」と書かれているため0番となっている。
 ブルックナーの交響曲は複数の「稿」があるものが多い。その生涯は改訂の連続だった。たとえば交響曲第2番は、1872年に初稿(1872年稿)が完成し、翌年、ウィーン・フィルで初演されたのは1873年稿。そして再演に向けて改訂された1877年稿があり、92年には初稿の出版に際し、細部を改訂した。さらにハース版、ノヴァーク版、ギャラガン版が出版されている。「異稿、異版が多いのは、自らの作品に対して真摯かつ真剣に対峙しつづけた作曲家だったということを示している」と中村孝義・大阪音大名誉教授。
 一方、マーラーは交響曲第10番の作曲途中で亡くなった。第1楽章はほぼ完成されており、妻アルマがクルシュネクに補筆を依頼した。ほかにクック版やカーペンター版がある。第8番と第9番の間にあるのが「大地の歌」。第9番はベートーヴェン最後の交響曲のため、不吉な数として9番ではなく、「大地の歌」とした。これは、中国の李太白や王維らの詩をテキストに使い、6楽章全楽章で歌われる特異な曲。「西欧のヒューマンな目的意識の限界を東洋の諦観で見直そうとした壮大な試み」と音楽評論家の喜多尾道冬氏。
 マーラーは生前、作曲家としてより指揮者として著名だった。優れた指揮能力を持ち、プラハやライプチヒなどを経て、ユダヤ人でありながらトップのウィーン宮廷歌劇場の芸術監督に上り詰めた。作曲は指揮活動がない夏休みに集中的に行った。そして「彼は、誰に強いられたり注文されたりしたわけでもなく、自分が書きたいような曲を書いた」とドイツ文学者の許光俊氏。
 特集では2人の作品の解説と名盤、指揮者を紹介している。
 他に、◎ブルックナー交響曲の特質◎チェリビダッケ、朝比奈隆とブルックナー◎◎マーラーのアマチュア性と交響曲◎アルマ・マーラーという女◎バーンスタインとマーラー、などです。

特集で紹介したDVD、CDのプレゼントもあります

東京・春・音楽祭2018
 東京・春・音楽祭2018が3月16日から4月15日まで、東京・上野の東京文化会館を中心に1カ月間にわたり開催された。有料公演約50、無料公演約100という大規模な音楽祭。今年は14回目で、東京の春の風物詩としてすっかり定着した。この音楽祭の目玉、ワーグナーの「ローエングリン」を指揮したライプチヒ歌劇場総監督のウルフ・シルマーは「ワーグナーのオペラから室内楽、リートの演奏会まで幅広いジャンルで回数も多く、ヨーロッパの本格的な音楽祭のよう」と評した。
 もう一つ、音楽祭名物となっているのはマラソン・コンサート。今年は、ヨーロッパ文化史研究家の小宮正安氏が「ロッシーニとその時代~混乱の世を生き抜く知恵と音楽」を企画。午前11時から午後8時まで、5部にわたりコンサートが行われた。来年のオペラは「さまよえるオランダ人」が公演される。


宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 隠岐彩夏 ソプラノ
 2016年の日本音楽コンクールで第1位を獲得したソプラノ。宗教音楽を演奏する機会が多いという。声楽の道に進んだきっかけがバッハの「マタイ受難曲」で、合唱団で歌った。また、母校、東京芸大の「芸大メサイア」のソリストも務めた。来年1月にはニューヨークに留学する。「この機会にレパートリーを見直したり開拓したりできればいいなと思っています。特にプッチーニのオペラには、自分のものにしたい役があります」と話した。


このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

次号予告
2018年5月19日(土)発売の2018年7月号は「ドビュッシー没後100年 19世紀のパリ」を特集します

お楽しみに~

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